みらいすくすく通信第429号で紹介(2020.05)
小林さんは石狩、美登位(みとい)の農家の家に生まれました。ところが後を継ぐということは強制もなく、自身も想像にもせず、高校大学とラグビーに打ち込み、将来は興味を持って専攻していた地球環境に関する仕事に就くのだろうと思っていたそうです。きっかけは大学近くのアルバイト先の居酒屋でした。そこは新篠津、大塚ファームの有機野菜を提供するお店だったのです。以来、有機野菜への思いが高まります。生産者や販売者とも関わりが多くなっていく中で、需要はあるのにマーケットが確立されていないもどかしさが湧き上がります。
「僕にできること」はないだろうか。
深めてきた環境問題への思い、知識と、実家が農家という背景が、「自分が生産者になる」ことで、初めてつながりました。
先代までは慣行農業なので畑も別々。スタートも決して早くはないので、それはまさに新規就農のようなもの。以降猛突な情報収集、試行錯誤が始まります。当時早くから有機野菜に取り組んでいたワタミグループの農場への研修、自然農について著名な福岡の農地への研修、さらにはオーガニック先進国キューバ、伝統的な種子を重んじるインドの地方への視察などを敢行。現在もオフシーズンは積極的に全国各地へ足を運びます。そんな中でたどり着いたのは、入り口こそ有機農業ではありましたが、詰め込みすぎ、空回りの経験を経て、実は答えはとてもシンプルに、「野菜が旬の中ですくすく育つ環境を整えてあげること」だといいます。今でも試行錯誤中ですが、今後は例えば石狩の鮭のアラを活用するなど地域循環を充実させたいとのこと。さまざまな情報収集力は、消費者を惹きつける魅力的な生産品目にも表れていま
す。黄金カブ、モロッコインゲン、ビーツ、はぜきび(ポップコーン)、水ナス、くらかけ豆。昨年は北海道ではまだ珍しい落花生がゆうきの実にも登場しましたが、今年も楽しみなところです。
さあ時代は地球が悲鳴をあげ、グローバリズムが極限を迎えたところで強制的に切断されて、ローカリズムへと一気に舵が切られました。国際化、多様化の美徳は残しつつも、もはや保存料が塗られ、ビニールでグルグルに包まれて世界の裏側から化石燃料を消費してやってくる安い生産物にはもう誰も手を出さないのです。自分たちに必要な食、モノを自給、製造し、技術は賢く利用し、創造性を大切にする新しい経済が到来することでしょう。
「自分ひとりだけでは、というのはあります。やっぱり仲間を増やしたいですね。そう簡単ではないですけど」これまでも
WWOOF(住み込みボランティア)や若者のアルバイトの積極的な受入をしてきましたが、今春から新規就農の研修先として自治体に認められました。
「私にできること」
勇気と希望をもったまた別の多くの人が、この旗振り役の元を訪れることでしょう。未来は明るい!そんな思いにさせてくれる活気が、ここにはあります。
農家の4 代目の変遷は、想像していた有機農家のサラブレッドとは全く違いました。学生時代、居酒屋「はるきち」と出会ってキックオフの笛が鳴って以来、怒涛のタックルのように勉強を続ける努力家。今もゴールへ向けて走り続けます。