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宮下農場(宮下 喜夫)・新得町

有機圃場面積:189a 認定団体・認定番号:JASCERT・A01-100203
人参、じゃが芋、大根、白菜、きゃべつ、南瓜、とうきび、新内そば

みらいすくすく通信第473号・474号で紹介(2020.11)

~有機農協事務所「もしもしー、宮下さん、先日送ってくれたキャベツー、次の時は虫食いの穴が見えなくなるまでむいてもらえませんかー」
宮下「有機のキャベツいうたらそういうもんやろー、売ったってくれよー」

事務所「有機は食べたいけど、虫食いは嫌っていうのが現場の声なんだわー。それでも宮下さんのキャベツ、美味しいからできるだけ売りたいからさー。穴だけなんとかお願いします」

宮下「ホンマ阿呆やなあ。ほいだらできるだけむいてみるかー」~
 宮下さんは京都出身。一度会うとその実直さ、ユニークさ、そして温かさをすぐに感じられることでしょう。
「40 年やってきてこんなん初めて。今年はホンマに無茶苦茶。環境破壊いうのはどこまでいくんやろなあ。人間が入っていかないところに入っていった結果、昔からおんなじことしとるんやけどなあ。それにしてもキミらよう来たわ」今年はお盆を過ぎても温度が下がらず、9 月も蒸し、キャベツには上からアオムシ、下からヨトウムシ、めくれば湿気で葉先が黒ずむという三重苦。異常気象に加えて、天敵であるハチが減っているというのもあるかもしれません。
「さっきも農協から電話きてな。ましなキャベツ出そうとしたけどもせいぜい2袋(20 玉)。むいてむいて小さすぎて出せへんのは、もう廃棄して来年の緑肥。4000 玉のキャベツ、今年はほとんど出せへんかもしれん」
 宮下農場の作柄はジャガイモ、カボチャ、ニンジン、トウモロコシ、キャベツ、ハクサイ、ダイコン、ソバの8 種。ハウスを建てない主義で、真の自然まかせのスタイル。ということは、春に撒いて収穫は秋だけ。さらに露地で種から苗を作って定植というのは生育に非常に時間がかかり、草取りも大変。そして、雑草取りも収穫も手作業が中心。広さも200アール弱(約140m四方)とすべて見渡せる程決して広くはない圃場で、自分のできる範囲でと、農業に向き合っています。作り方も風景も、昔に戻った気にさせられますが、それは進化していないのではなく、退化することを固辞しているとでもいうのでしょうか、宮下農場の畑は、そんな思いにさせられます。食べてみるとなるほど、昔食べたような素朴な、それでいて主張する、野菜に名前が書いてあるような味がしませんか。それにしてもなぜ京都の都会から北海道、中でも大自然の真ん中、新得で原始的な農業をはじめ、そして続けているのでしょう。

 宮下さんは今年71 歳。家は京都の中心地にあったそうですが、幼いころから母親の実家、京都北部の漁師町で海に潜ったり、畑を走り回ったりした自然児で、それがベースにあるといいます。大学に進んでからも兵庫の親戚から田んぼの手伝いの話があり、田植えや稲刈りに没頭し、社会に出てからもそれを続け、自然な流れで畑に接する環境にありました。
 一方で時代は高度経済成長期の後半、公害病など環境破壊が起こり、それに対する声も盛んな時期でした。社会的な文献、作品をむさぼるように見聞きしたといいます。
『終末から』(社会問題をとりあげた雑誌)、『パパラギ』(文明に異を唱えるドイツ文学)、『成長の限界』(スイスのシンクタンクによる研究発表)、『複合汚染』(環境問題で大反響を呼んだ長編)等々。知識を深めるにつれ近代化に疑問を持つようになり、豊かさとは何か、生きるとは何かをずっと問いかけてきたそうです。「でもやっぱり好きなのはチャップリンかな。『モダンタイムス』なんか映画のすべてに愛やら人生に大切なもんが入っとるもんな」
 社会に出たあとすぐ母親の看病で仕事を辞めることになり、その半年後母が他界。翌年、憧れていた北海道に、親戚が北大にいたこともあって訪ね、以降釧路、根室と放浪し、昆布漁のアルバイトや椎茸栽培の手伝いをしていました。そしてそれを見ていた近所の農家に誘われ農業研修し、そのうちに新得に空き農家があるということで、なんとその流れで就農を決めてしまったのです。自然環境の中で育ち、環境問題を吸収した多感な時期に、進路はすでに決まっていたのでしょう。「思いを伝えることが大事。発信することをなくしてしまったらおしまい。それを有機農業でやってるいうことかなあ」
“良心の実践”
 便利さにより当たり前にモノや環境が与えられ、他人の視線に価値観を見出していた時代もあったのかもしれません。親、学校、会社、政治、さらには神。何かを当てにせず、自らに生きるという思いが湧き出す時、その源泉には、よりよく生きるという思いが誰しもあるはずです。
 宮下さんがよく口にする阿呆という言葉には、大勢に従ずることをしない者への愛情とユーモアがたっぷり込められています。
「うちの野菜、美味いいうて食べてくれるそんな阿呆な人たちおるんか。ホンマにありがたいことです」

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