有機農協のネットショップ有機市場・旬の有機野菜を全国へお届け。 北海道有機市場

高野ふぁーむ(高野健治)・積丹町

有機圃場面積:419a 認定機関・認定番号 JASCERT・A03-060401
人参、ビーツ、アスパラ

みらいすくすく通信第518号で紹介(2021.9)

髙野さんは小樽出身。高校卒業後は、関東の大学へ進みました。当時は日米安保条約、ベトナム戦争を背景に、大学の管理運営、学費等への反発など反権力、反体制が沸き起こった学生運動の真っ只中。髙野さんは参加はしなかったものの影響はあったと言います。めざしていた自由、自治、平等、平和が、願った形で実現せず、挫折感や敗北感が辺りに漂っていたという中、卒業後は海外へ飛び出しました。向かった先はイスラエル。「大げさにいうと、新しい社会を作りたかった」。イスラエルには、キブツという農を中心とした自治コミュニティがあり、当時注目を集めていました。そこは自由意志が尊重されつつ労働、生活を共同で行う共同体。ボランティアシステムもあり、労働を提供すれば、衣食住が提供されるということで世界中から若者が集まり、また、民主主義と平等を実現する理想社会とみられ研究対象にもされ始めていました。髙野さんはキブツの仕組みを知ろうと、ここで3年程を過ごし、そして日本でキブツを作ろうと戻りました。

 日本に戻ると、当時鶴居村でキブツの研究をしている北海道教育大学の教授から早速声がかかり、研究の手伝いをすることになりました。地域の酪農家を手伝いながら、共同体形成を試みるというものです。しかしながら、今までなかったことへの思わくと実際の差は次第に大きくなり、3年の月日が流れましたが、なかなかうまくいきませんでした。その後は、「よし、自分たちでやろう!まずは資金作りから」と気の合った仲間と飛び出して、釧路の水産加工場、三笠の炭鉱と、道内を転々としました。途中、仲間が減ったり、増えたりを経て、現在の場所の積丹にたどり着き、なんとか計3家族で共同体の形をスタートしましたが、結果は1年もちませんでした。

 1980年頃、30代前半で入植して約40年。もともと体にいいものを作ろうと決めていたことから、有機JAS施行前から有機栽培は始まっていました。また、独自に売り先を開拓し、自然食品店に卸し始めました。堆肥はこの地域で酪農、畜産が盛んなことから牛ふんを主に使用。防除はなし。除草はしっかりやる主義ということで、畑の雑草はきれいに手取りされています。この地域でもともと栽培が豊富なジャガイモ、カボチャ、トウモロコシ、豆類を中心に栽培し、現在有機農協へはニンジンやビーツなどを供給しています。

 その後のキブツ作りを聞いてみると、「理想と現実のギャップが大きくて。そこに人間がついていけない」。今はWWOOF(オーガニックの農作業で住まいと食を提供する世界的なボランティアのしくみ)を楽しんでいるといいます。国内外から多くの人が訪れますが、髙野さんが「うちの名物」といって用意しているのが日本酒。特に海外から来る人へは「日本酒は日本の文化だから」と振る舞うそうです。

 また、農作業のない冬、髙野さんが楽しんでいるのが音楽です。イスラエルにいた頃、入れ替わりで帰国した日本人がくれたギターがきっかけで自ら作詞、作曲します。25歳年下の奥様を射止めたのも歌がきっかけだそうで(お子様は髙野さんが60歳で授かり)、積丹ウッドストックと銘打って野外ライブを開催したり、有機農協の小路組合長の結婚式でも歌を披露したそうです。ちなみに好きなジャンルはブルース。ブルースはアフリカ系アメリカ人の農業労働歌をルーツとしています。

 「成功の反対は失敗ではなく、何もしないことだ」。多くの人がこの積丹半島の北端に惹かれるのはそんなことを感じるからかもしれません。コロナ禍が明けた後、有機農業や新しい社会に興味のある方は、たかのふぁーむを訪れてはいかがでしょうか。土にまみれて労働をした後に、自作の物を食べ、歌を唄い、日本酒を傾けながら語れば、人間の理想と現実を縮めていく術が、見えてくるかもしれません。

自家用と育苗を除きすべて露地栽培。干ばつは水をやればまだいいが、洪水は採れなくなるのでそっちの方が大変と

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